【読書】福沢諭吉『学問のすすめ』を読んで感じたことがある

成長する
人生に潤いを与えよう。学びの時間ですぞ

こんにちは、たくやきです。

 

福沢諭吉の『学問のすすめ』

読んだことありますか?

 

本書には「天は人の上に人を造らず、天は人の下に人を造らず」という有名なフレーズがありますよね。

人はみな平等だけど、ちゃんと努力しないと格差に飲まれるぞ!

的なニュアンスだったかと思います。

 

さて、一方で『学問のすすめ』には、そのワードと等しく”グサッ”と刺さる文章がたくさん。

われわれ日本人に対する鋭い指摘には、いつ見ても「なるほど」と感じさせられます。

 

そしてこのページでは、そこを踏まえた上で、私の過去のエピソードと照らし合わせながら感想を書きました。

 

ちなみに私は文学者でも、評論家でもなんでもなく、ただの会社員。

ですから「あ、そうなのね」くらいのカンタンな気持ちで読んでいただければ幸いです。

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読み始めたきっかけは…「なぜ1万円札には福沢諭吉が描かれ続けているのか?」という文章

2016年、主に勤務先の人間関係が原因で精神的にまいっていた私。

 

「もう嫌いな人とは関わらずに生きていきたい」

「自分の納得できる生活をしていきたい」

 

そんな意識高い系な目標を抱えながら、なんとしてでも自分の力だけで稼いでいこうと躍起になっていました。

最終的には転職という形で落ち着いたわけですが、当時は「独立」に対するこだわりがあったんですね。

 

ネットでも「独立 コツ」みたいなワードでしつこく調べる日々が続いてました…。

 

そしてとある日、とあるサイトを見つけて入ってみると、『学問のすすめ』を紹介している記事を発見。

文章量はかなり多かったような気がします。

 

内容はほとん失念しましたが…

「なぜ1万円の肖像が福沢諭吉なのか」という文章だけは印象に残っていました。

1,000円札も5,000円札も変わっているのに、なぜ10,000円札だけは変わらないのか?

2024年から渋沢栄一に決定しましたね。

 

そのサイトでの答えも既に記憶にありませんし、「よし、読破してその答えを見つけてやろう!」という気概があったわけでもありません。

しかし、なぜだか分かりませんが「これは読むしかない!」とテンションが上がってきたのです。

 

福沢諭吉のように、歴史に名を残す人物になりたかったのか

それとも、雇われの身から逃れて自由な生活を送りたかったのか

はたまた、ただのツウになりたかったのか

 

今となってはよく分かりません。

ですが、その後すぐに書店で現代語訳版を買うに至りました。

『学問のすすめ』の中で、私が特に印象に残っている箇所

書籍を購入してから1年くらいは経ちました。

 

かれこれ5回ほど読みましたが、ほとんど内容は頭に入っていません。

「あ、そういえばこんな文章もあったっけな」なんてことはしょっちゅうです。

 

ただ「これはすごい分かるわぁ~!」と共感できる部分だけは覚えています。

今回はその中から2つくらい引用しながら、私の考えを書いていこうと思います。

①私たちは国の「お客様」であり「主人」でもある

一国は会社のようであり、人民は会社の人間のようであって、ひとりで主人と客の二つの役目をつとめるべきなのだ。(第7編 国民の二つの役目 より)

福沢諭吉は、日本に住む私たちに対して「客」の立場と「主人」の立場、両方をわきまえるべきだと述べています。

 

まず、「客」の立場というフレーズについてもう少し引用。

他人が自分の権利を侵害するのが嫌ならば、自分もまた他人の権利を妨害してはならない。(中略)また、国によって定められた法は、たとえバカバカしいものでも、たとえ不都合なものでも、これを勝手に破っていいという道理はない。

つまり客である以上は、法やルール、もしかしたらモラルなども守るのが普通だと。

 

次に「主人」の立場という点では

国中の人間がみな政治をする人間ではないので、政府というものを作って、これに国の政治を任せ、人民の代理として事務をさせる、という約束を定めたからである。

政府は、本来私たちが自分でやるべきことを”代理”でやっているだけ。

元はと言えば、私たち国民ひとりひとりが日本の代表であると述べているのです(たぶん)。

 

「客」と「主人」の立場。

「法やルール、モラルなどの決め事を作っているのは私たちなのだから、もちろん自分たちで作った決め事はしっかりと守るよね?ていうか、守ってね。」

 

福沢諭吉は、そんなことを言いたかったのかなと思いました。

 

さて、上記のパートは私にとって特に印象に残っている部分ですが、なぜそんなにも覚えていたのか。

考えてみたところ、「不景気」とかそういうところにたどり着きました。

 

特に税金とかでしょうか。

私のような末端社会人の給料は上がらず、給付もなく、なのに税金は10%になる…

 

テレビを見れば国会議員の不祥事やら何やらで「あれ、私の払った税金ってどこに消えたんだ?」

思わず口にしてしまうような出来事ばかり。

 

そのようなムカムカすることと、「客・主人」の話が結びついたのでしょう。

ただし、私たちは国の「客」である一方で、国の「主人」でもあります。

 

政府・政治=わたし(たち)

なのです。

 

嘆かわしくも感じるこの世の中。

とは言っても深堀してみれば、原因は私たち国民と言っても過言ではないのかもしれません。

 

給料が満足に支給されないのに消費税だけ上がるのも

不祥事を起こす政治家が現れるのも

障がい者の水増し雇用問題が起こるのも

 

すべては私たちの行いの結果ということになりますよね。

というか、なっている。

 

だからこそ、じゃあ何をすれば良いのか?って話は、私には解決できるほどの知識は持ち合わせていないのですが…

今の世の中を作っているのは、紛れもない私たちであるという認識は持っておくべきなのだと、そう感じました。

 

私たちが日頃から多くを学び、法やルールを守り、健全に過ごすこと。

それが国をよくするための最善にして最速の解決策なのだと思いました。

②衣食住のためだけに働くのは「アリ」と同じ

福沢諭吉は別の章で、自分や家族の生活のためにお金を稼ぎ、結婚して、子どもを不自由ないくらいに育て「よし、おれはちゃんとやっているぞ」とふんぞり返っている者の存在を「アリ」と同列に例えています。

また、その上で

万物の霊長たる人間としての目的を達したものとは言えない

と断言しています。

 

さて、私の中では上記のパートも印象深く残っていたわけですが…

よくよく考えてみると、これは私自身が人間ではないと感じたからなのかもしれません。

 

本書を読み始めたときの私はというと、「会社を辞めて雇われずに稼ぐんだ!」と躍起に。

しかし稼ぐための技量や知識は持ち合わせていませんでした。

 

高かったのは意識だけで、しかもその意識(会社辞めて稼ぐぞ!っていう)も突き詰めていけば「衣食住」のため。

 

結局、会社ではただ衣食住の為に働くことと、明確な夢や目標を持たずに意識だけ高いままのイタい状態は同列。

アリんこなのだと気づかされました。

 

恐らく福沢諭吉は「ちゃんと人の役に立つことをやれよ?」と言っています。

衣食住のためだけに働いていては、道もできず、橋もできず、船もできない、といった内容が書いてありましたので、結局は「役に立て」ということなのでしょう。

 

当時(明治時代)はインターネットなんてありませんから、仕事の幅は狭かったと思われます。

けれど、今となっては職種はたくさん。

全員が全員、橋や船を造る必要まではありません。

 

それぞれが、与えられた仕事をまっとうして(「あ~仕事だりいなぁ」とかならないように)人の役に立つ工夫や継続をすることがアリにならない方法なのかと。

福沢諭吉はロマンチストだったのだろうか

ここまで、『学問のすすめ』の内容を引用しながら「なるほど」と印象に残ったことを紹介してきました。

 

ここで、個人的に1つ疑問というか…分からないことを明確にしておきます。

「日本人は幸せになっていないのでは?」と感じている点です。

 

あくまで私が勝手に思っているだけで、もしかしたら他の人は違うかもしれません。

ただ、パワハラ問題やブラック企業、他にも自殺率など暗いニュースを見ていると、どうも橋を造ったり船を造っているだけではいけないような気がしてなりません。

 

世の中は大変便利になりました。

移動も、娯楽も、食事も…すべてにおいて技術が確立しており、物質的にはかなり充実しているのは間違いありません。

 

しかしその裏では、サービスを維持するために多大な犠牲があるのも事実。

 

果たして、本当にこれでいいのだろうか…。

「人の役に立つ」ことが限りなく”善”なのでしょうか。

 

1万円札に顔が載るくらい有名なのに、福沢諭吉が目指したであろう世の中はあまり達成できていないようにも思えるのです。

 

イメージでしかないですが、福沢諭吉はある種ロマンチストだったのかなと。

 

彼の経歴を見るに頭は良かったことに異論はありませんが、目指した世の中が未だ達成されていないとなれば…

達成することのない夢物語を描いていたのでしょうか。

 

橋を造り、船を造ることができればそれでよかったのだろうか。

欧米と渡り合えるような技術を磨ければよかったのだろうか。

人としての敬意をもって接することの大切さとか、そういうのは特に必要なかったのだろうか。

 

まだまだ、読み足りず、理解不足ですね。

もっと読み直して、そして彼自身についてももっと調べていこうと思います。

まとめ:机上と実践、人生を後悔しないために学び続けます。

ということで、福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んだ感想でした。

 

「あぁ…もっといろんな勉強や体験をしないといけないんだな」と思わざるを得ない文書がたくさん。

巷にあふれる自己啓発本よりも学べることがたくさんありました。

 

また、結果的に今でも「なぜ1万円札の肖像が福沢なのか?」という疑問はいまいちわかっていませんが…

少なくとも我々にとって、『学問のすすめ』が「人生の教科書」の中の1つであることは間違いないでしょう。

 

恐らく、読んだことのない方はたくさんいるのではないでしょうか。

しっかりと独立(会社を辞めるという意味ではなく)した人生を歩むためにも、一度は目に通してみても良いと思います。

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