【読書】福沢諭吉『学問のすすめ』を読んで感じたことがある

my自己啓発
人生に潤いを与えよう。学びの時間ですぞ

人生とは学び続けることなのか?

こんにちは、たくやきです。

 

早速ですが、あなたは読んだことがあるでしょうか?

福沢諭吉の『学問のすすめ』。

 

本書の有名な言葉に「天は人の上に人を造らず、天は人の下に人を造らず」というものがありますよね。

人はみな平等だけど、ちゃんと努力しないと格差に飲まれるぞ?的なニュアンスだったかと。

ググればすぐに出てきます。

 

さて、しかしながら『学問のすすめ』にはそのワードと同じくらい、心にグサッとくるようなものが他にもあります。

私はたしか5回くらい読んでいますが、いつ見ても「あ、なるほどね」と感じさせられるほどに、われわれ日本人に対する鋭い指摘が書かれていて面白いです。

 

今回、はそんな「なるほどね」となる個所を少しつまんで、私の思うことと一緒に読書感想文(ブログ)にしました。

 

ちなみに私は文学者でも、評論家でもなんでもなく、思考力がやや乏しいただの会社員。

ですから「あ、そうなのね」くらいのカンタンな気持ちで読んでいただければ幸いです。

読書感想文とでも言っておきます。

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きっかけは「なぜ1万円札には福沢諭吉が描かれ続けているのか?」という文章

2016年、人間関係などから仕事で精神的にまいっていた私。

 

「もう嫌いな人とは関わらずに生きていきたい!」

「自分の納得できる生活をしていきたい」

 

そんな意識高い系な目標を抱えながら、なんとしてでも自分の力だけで稼いでいこうと躍起になっていました。

 

最終的には転職という形で落ち着いたわけですが、当時はそれくらい「独立」というワードにこだわっていましたね。

過去記事:再就職して気づいた「周りに流されない自分らしい生き方」について

再就職して気づいた「周りに流されない自分らしい生き方」について
巷にあふれるインフルエンサーを目指していた時期がわたしにもありましたが、ほんとうに望んでいたのはそこではありませんでした。周りに流されて意識高い系になっていた当時のわたしに、無事に再就職できた今のわたしからメッセージを送りたいと思い書きました。殴り書きした日記でございます。

 

ネットでも「独立 コツ」みたいな感じで調べまくっていたような・・・。

 

そんな風に情報を集めていた最中、とあるサイトを見つけて入ってみると、『学問のすすめ』を紹介している記事を発見。

文章量はかなり多かったような気がします。

 

内容はほとんど覚えていませんでしたが、「なぜ1万円の肖像が福沢諭吉なのか」という文章だけは印象に残っていました。

1,000円札も5,000円札も変わっているのに、なぜ10,000円札だけは変わらないのか?

 

そのサイトでの答えも既に記憶にありませんし、「よし、読破してその答えを見つけてやろう!」という気概があったわけでもありません。

しかし、なぜだか分かりませんが「これは読むしかないな!」とテンションが上がってきたのです。

 

福沢諭吉のように、歴史に名を残す人物になりたかったのか

それとも、雇われの身から逃れて自由な生活を送りたかったのか

はたまた、ただのツウになりたかったのか

 

今となってはよく分かりません。

ですが、その後すぐに書店で現代語訳版を買うに至りました。


『学問のすすめ』の中で、私が特に印象に残っている箇所

書籍を購入してから1年くらいは経つでしょうか。

かれこれ5回ほど読みました。

 

しかし、ほとんどの内容はあまり頭に入っていないのが事実です。

「あ、そういえばこんな文章もあったっけな」なんてことはしょっちゅうです。

 

一方で、「これはすごい分かるわぁ~!」と共感できる部分があったのも本当で、それらはすごく覚えています。

今回はその中から2つくらい引用しながら、私の考えを書いていこうと思います。

①私たちは国の「お客様」であり「主人」でもある

一国は会社のようであり、人民は会社の人間のようであって、ひとりで主人と客の二つの役目をつとめるべきなのだ。(第7編 国民の二つの役目 より)

福沢諭吉は、日本に住む我々に対して「客」の立場と「主人」の立場、両方をわきまえるべきだと述べています。

 

まず、「客」の立場というところでは、もう少し引用させていただくと

他人が自分の権利を侵害するのが嫌ならば、自分もまた他人の権利を妨害してはならない。(中略)また、国によって定められた法は、たとえバカバカしいものでも、たとえ不都合なものでも、これを勝手に破っていいという道理はない。

こういうことです。

つまり客である以上は、法やルール、もしかしたらモラルなんてものも守るのが普通だと、そう言っています。

 

次に「主人」の立場という点では・・・

国中の人間がみな政治をする人間ではないので、政府というものを作って、これに国の政治を任せ、人民の代理として事務をさせる、という約束を定めたからである。

ということで、結局、政府は本来私たちが自分でやるべきことを”代理”でやっているだけであり、元々はというと、私たち国民ひとりひとりが日本の代表であると述べているのです(たぶん)。

 

「客」と「主人」の立場。私なりに簡単にまとめると・・・

「法やルール、モラルなどの決め事を作っているのは私たちなのだから、もちろん自分たちで作った決め事はしっかりと守るよね?ていうか、守ってね。」

福沢諭吉は、そんなことを言いたかったのかなと思いました。




さて、この話題は特に印象に残っている私ですが、なぜそんなにも覚えていたのか。

ちょっと考えてみたところ、「不景気」とかそういうところにたどり着きました。

 

特に税金とか?

私のような末端社会人の給料は上がらず、給付もなく、なのに税金は10%になる…

テレビを見れば国会議員の不祥事やら何やらで「あれ、私の払った税金ってどこに消えてんだ?」と

思わず口にしてしまうような出来事ばかり。

 

そのようなムカムカすることと、「客・主人」の話が結びついたのでしょう。

ただ、私たちは国の「客」である一方で、国の「主人」でもあります。

政府・政治=わたし(たち)

なのです。

 

ということはですよ?嘆かわしくも感じるこの世の中というのは、わたしたちが作り出しているといっても過言ではないんですよね。

 

給料が満足に支給されないのに消費税だけ上がるのも

不祥事を起こす政治家が現れるのも

障がい者の水増し雇用問題が起こるのも

 

全部、ぜ~んぶ!わたしたちの行いということになりますよね。

というか、なっている。

 

だからこそ、じゃあ何をすれば良いのか?って話は、私には解決できるほどの知識は持ち合わせていないのですが…

今の世の中を作っているのは、紛れもない私たちであるという認識は持っておくべきなのだと、そう感じました。

 

私たちが日頃から学び、法やルールを守り、健全に過ごすこと。

それが国をよくするための最善にして最速の解決策なのだと思います。

(浅はかな考えかもしれませんがね)

②衣食住のためだけに働くのは「アリ」と同じ

福沢諭吉は別の章で、自分や家族の生活のためにお金を稼ぎ、結婚して、子どもを不自由ないくらいに育て「よし、おれはちゃんとやっているぞ」とふんぞり返っている者の存在を「アリ」と同列に例えています。

また、その上で

万物の霊長たる人間としての目的を達したものとは言えない

と断言しておられます。

 

さて、この部分も私の中では特に印象深かったわけで、よくよく考えてみると、これは

私自身が人間ではないと感じたからかもしれません。

 

本書を読み始めたときの私はというと、「会社を辞めて雇われずに稼ぐんだ!」と躍起になっていましたが、反して、稼ぐための技量や知識は持ち合わせていませんでした。

高かったのは意識だけで、しかもその意識(会社辞めて稼ぐぞ!っていう)も突き詰めていけば「衣食住」の為。

 

結局のところ、会社ではただ衣食住の為に働くことと、明確な夢や目標を持たずに意識だけ高いままのイタい状態は同列であり、アリんこなのだと気づかされました。

アリんこ、他にどれくらいいるでしょうか…。

 

 

たぶん、福沢諭吉は「ちゃんと人の役に立つことをやれよ?」そう言っています。

衣食住のためだけに働いていては、道もできず、橋もできず、船もできない、みたいなことが書いてありましたので、結局は「役に立て」ということなのでしょう。

 

当時(明治時代)はインターネットなんてありませんでしたから、仕事の幅はけっこう狭かったように思われますが、今となっては職種はたくさん。

別に全員が全員、橋や船を造る必要まではありません。

それぞれが、与えられた仕事をまっとうして(「あ~仕事だりいなぁ」とかならないように)人の役に立つ工夫や継続をすることがアリにならない方法なのかと。

 

ちょっと何書いているのか分からなくなってきたので、この辺で止めます。



福沢諭吉はロマンチストだったのだろうか

ここまで、『学問のすすめ』の中から少し引用しながら「なるほどね」と印象に残ったことを紹介してきました。

 

ただ、個人的に1つ疑問というか、分からないことがあって

「日本人は幸せになっていないのでは?」

と感じています。

 

まぁ。あくまで私が勝手に思っているだけで、もしかしたら他の人は幸せかも。

ただ、パワハラ問題とか、ブラック企業とか、そういう暗いニュースを見ていると、どうも橋を造ったり船を造っているだけではいけないような気がしてなりません。

あなたはどう思いますか?

 

世の中は大変便利になりました。

移動も、娯楽も、食事も・・・すべてにおいて技術が確立しており、物質的にはかなり充実しているのは間違いありません。

 

しかしその裏では、それを維持するのに多大な犠牲があるのも事実。

果たして、本当にこれでいいのだろうか…。

そもそも、福沢諭吉の存在を、国民はどのように捉えているのかも気になる。

 

1万円札に顔が載るくらい有名なのに、福沢諭吉が目指したであろう世の中はあまり達成できていないようにも思えるのです。

いや、詳しくは知りませんけどね?(すみません)

 

なんていうかイメージでの話でしかないですけど、福沢諭吉ってロマンチストだったのかなと。

彼の経歴を見るに頭は良かったことに異論はありませんが、目指した世の中が未だ達成されていないとなれば…達成することのない夢物語を描いていたのでしょうかね?

 

橋を造り、船を造ることができればそれでよかったのだろうか。

欧米と渡り合えるような技術を磨ければよかったのだろうか。

人としての敬意をもって接することの大切さとか、そういうのは特に必要なかったのだろうか。

 

 

まだまだ、読み足りず、理解不足ですね。

もっと読み直して、そして彼自身についてももっと調べていこうと思います。



まとめ:机上と実践、人生を後悔しないために学び続けます。

ということで、福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んだ感想やらなんやらを書いてみました。

(時代背景などをまったく考えていなかったので、的外れなことを述べてしまっていたかもしれませんが、そこは許してください…)

 

「あぁ…もっといろんな勉強や体験をしないといけないんだな」と思わざるを得ない文書がたくさん書いてあって、そこいらの自己啓発本よりも学べることがたくさんありました。

結果的に今でも、「なぜ1万円札の肖像が福沢なのか?」という疑問はいまいちわかっていませんが…

少なくとも我々にとって、『学問のすすめ』が「人生の教科書」の中の1つであることは間違いないでしょう。

 

恐らく、読んだことのない方はたくさんいると思います。

しっかりと独立(会社を辞めるという意味ではなく)した人生を歩むためにも、一度は目に通してみてもいいんじゃないかなと。

 

読書、しましょうよ。

 

おわり

コメント

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