人それぞれだけど…そんなに怒らなくても…。
こんにちは、たくやきです。
1度だけ会社を退職した経験があるのですが、たぶん9割方の理由は怒られるのがイヤだからです。
いつの頃からか、怒られるのが何よりも恐怖になってた私。
また、怒られて勝手にビビってるならまだしも、他人が怒られているのを見るのも本当に苦しくてヤバイんですよね・・・。
これってもしかして『アダルトチルドレン』なのか?なんていう悩みも出てきたりするんですが…
いろいろと書いていきたいと思います。
ただの日記です。
幼いころのトラウマから「怒られない」ように行動する性格になった
ほとんどの方がそうですけど、私は2~3歳くらいの記憶はまったくと言っていいほど残っていません。
でも、ある1シーンは鮮明に覚えています。
ある日の夜、何かをやらかしてしまったのか…ひどい剣幕で「ふざけんじゃないよ!もう出ていくんだから!」と怒鳴る母親がそこにいました。
父親はまだ仕事から帰っておらず、私と姉の2人(しかもどちらも5歳以下)では何もできないし、もうてんやわんや。
鬼の形相で外に出ていこうとする母親のエプロンを、大泣きしながら引っ張っていたのは今でもはっきり覚えています。
たぶん、トリガーはここです。
母親はかなり厳しく、いかにも「人生は苦労してなんぼ」な性格だったので、ことあるごとに叱られていましたが、私の人格が作られる過程でのひとつの引き金はそこに集約されています。
「怒られたくないからやる」性格はみじめだ
母親からは、その後の生活でもことあるごとに叱られ、社会人になるまで怒鳴られ続けた私。
その結果、毎日怒られないように振舞う生活をすることが基本となりました。
宿題をやる、家事をする、静かに授業を受ける、言われたことをやる、全ては「怒られないため」
成長する喜びはもちろんありましたが、成長したくて物事に取り組むんじゃなくて、あくまで「怒られないため」っていう感じでしょうか。
だから社会人になっても、会社の利益とか昇給とか、そういうのには興味が持てなかったんです。
「怒られたくない」「怒鳴られたくない」が先行してしまうので・・・。
でもやっぱり、それでは限界があります。
受け身で会社の利益は作ることはできませんからね。
ろくに仕事もできず、上司から怒られる日々が続いて私は消耗していきました。
怒られたくないのは、嫌われたくないからなんだと思う。
幼いころのトラウマシーンで芽生えた「怒られたくない」という性格ですが、恐らくその本質は「存在否定されたくない!」ってことだと思います。
他の方の場合、仕事で怒られたりしても「あ、これがこうでダメだったんだな」とかそんな感じで自己解決して、同じミスを繰り返さないようにしています。
しかし、私の場合は180度違います。
怒られて真っ先に考えてしまうのは「あ、全てを否定された。終わった。」です…。
怒った側はが決して人格否定をしているのではなく、あくまで業務のミスを指摘しているのは承知しています。
しかし、そんなのお構いなしでトラウマシーンが無意識にフラッシュバックされてしまうんでしょうね…。
幼いころの私にブチ切れた母親が家から出ていこうとするあのシーンが…!!
「あぁ、もう自分のこと嫌いなんだな」って、良い大人ですがそんな風に感じてしまうので、私を怒鳴ったりする人に対しては自然と距離をとってしまいます。
私にとって「怒られたくないからやる」というのは、その奥を覗くと「嫌われたくないからやる」というのが本質なのかもしれません。
自分のテリトリーから出て行ってほしくない、自分を否定せずにいてほしいってこと。
気づいたら奥さんにもよくこんなことを言います。
「ねぇ、怒ってる?」
きっと嫌われたくないから聞いちゃうんですよね。
まぁ、「怒ってないから!」と逆にちょっと怒られてしまうので逆効果なんですけど…(笑)
兎にも角にも、私は「嫌われたくない」という思いが人一倍強い性格なんだなと実感しています。
私はこれからどのように生きていく必要があるのか
ここまで私の人格の一面を書いてきましたが、しかしだからと言って自分が大嫌いだというわけではありません。
この記事を作成している今の私は28歳ですけど、自分を恨んだことも、ましてやトラウマを生みだした母親を責めるつもりは毛頭ありません。
むしろ、ここまで健やかに育ててもらったことは感謝しきれないくらいの感謝。
なんなら、お金が溜まったらすぐにでも両親を連れて、一度も行ったことがないというディズニーランドに連れていくつもりです。
計画してます⇒ディズニー2泊3日を11人で楽しむにはいくら必要なのか?調べてみた
それくらい、私にとっては(全員そうだけど)母親が必要不可欠だったわけです。
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さて、私は怒られるも嫌われるのも本当に悲しいし、ましてや他人が怒られてるのを見てもその場を離れたくなるレベルです(当の本人があっけらかんとしていても…)。
けど、それ故にメリットになっている部分もあるんじゃないかな?と最近は必死になって良いところを探しています。
ちなみに、ストレングスファインダーという書籍で自己分析をした結果、私の5つの才能が”最上志向”、”未来志向”、”内省”、”共感性”、”調和性”であることが分かりました。
今回関わりがあるのはその中の1つ”調和性”です。
【争いを最小限に抑えて、同意や支援に目を向ける】
一見サポート的な才能に見えますが、いかにしてそれを本業に結び付け、お金に換えていくか。
それが、会社で利益を生み出すことができなかった私の活路であり、自分自身への使命だよねって考えたり…。
今はまだ具体的に何をしようとか、何がしたいとか、そういったのは残念ながらありません。
それを見つけることができるように、こうやってブログを書き続けたり、Twitterとかでいろんな人に絡んでみたりするのを継続していこうと思います。
まとめ:とにかく今はできることを素直にやっていくだけ。
怒らない人(というか怒鳴らない人)がいない会社は存在しないと思うようになりました。
もし、とっても平和な会社があるのなら、喜んですっ飛んでいくんですが、残念ながらそれは望めないですね。
だとしたら、もはや進むべき道は自分で起業するか、もしくはこれまで通りの人生を歩んでいくか、それしか方法論はないわけです。
後者はもう絶対にイヤです。
これ以上、自分を傷つけるわけにはいきません。
かといって、起業はそう簡単にできるものではないので、なんとしてもうまく切り抜けていくほかはないような気もします。
ひとまずはネガティブなストレスを抱えずに、そして自分の好きなように生きるために、今やっていることを継続して(ブログとか)いこうと思います。
一方会社では、波風を立てないようにひっそりと…身をかがめながらやるしかないですね…。
もしかしたら、これから何か光が見えてくるかもしれませんし…しっかりと考えつつも、がむしゃらにやり続けていきたいところです。
もし、私と同じように「怒られるのが怖い」「怒鳴られるのがつらい…」という方がこれを見ていたら…ぜひコメントとかいただければとっても嬉しく思います!
染みついてしまった人格はそんな簡単に取ることはできませんが、取るんじゃなくてそこから自分の強みを見つけて世の中に発信していく考え方や実践を、学んでいきましょう。
そんな感じで、
おわり
コメント
[…] (以前『怒られたくない!嫌われたくない!そんな私はなにができるだろうか?』と記事にしました。) […]
[…] 参考記事:怒られたくない!嫌われたくない! […]