【後編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ

東日本大震災 3.11 ライフスタイル

外から「ドゴォおおん!」という音がしたら地震がくる合図!たくやきです。

 

自然の猛威を痛烈に感じた東日本大震災ですが、そのときたくやきはどんな行動をとって、どんな思考をしていたのか?を書き記しております。

【前編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ
東日本大震災がきてから随分と月日が経ちましたが、そのときの記憶は意外とはっきりしているものですね。当時の状況について、そういえばブログとかで発信したことがないなと思ったので勢いで書いてみました。同じような境遇の方はもっとたくさんおりますが「あぁこんな感じになるのね」というのをちょっとでも掴んでいただければ幸いです。
【中編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ
2011年3月11日の東日本大震災が起きてから大分月日が経ちましたが、ふと「ブログに書いてみるか!」とやる気になったので今回は中編です。前編もありますのでまだの方はそちらからどうぞ(このページ内にリンクがあります)。震災の何がつらいかって、リアルタイムの地震や津波もそうですがそのあとの復興までの生活がめちゃくちゃ大変なんですよね…。

 

これで3回目!終わらせようと思うのですが、もしかしたらもっと続くかも…。それくらい濃い内容だったのは間違いないってことですね。覚えていないこともあるんですけど…(笑)

前回は震災がきてから初めての夜までをお伝えしてきましたが、それ以降はどうなったのか?引き続き書いていきたいと思います。

それではいってみましょう。

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3月12日、東日本大震災がきてから一夜があけた。ぼーっとすることしかできませんでした。

伯母の車での慣れない睡眠はかなりしんどく、朝がきても疲れが残ってぼーっとしていました。しかも座席を倒さずに寝ていたので体中が痛いこと痛いこと。

おまけに夜はかなり冷えたのでだるさMAXだったのも覚えてます。

そんな史上最悪かもしれない寝起きだったわけですが、気分に反して一夜があけた朝の天気はすごい良かったんですよね。まるで昨日の地震がウソだったかのように。

 

トイレの件もあって、親戚家の近くにある公園の駐車場に車をとめて過ごしたわたしと母親と伯母。

とりあえず朝ごはんを食べようということで伯母の家に戻ろうとしていたんですが、ふと母親が「Sさんも連れて行くべ!」と言いだしました。

 

Sさんはわたしの自宅のお向かいさんで、愛犬と一緒に暮らすご夫婦。Sさん夫婦も同じ公園で一夜を過ごしたそうですが、車とはいえ毛布もなにもない状態だったので新聞紙をかぶって寝ていたんだとか。

もちろん効果は薄く、震えるくらい寒そうにしていたのは言うまでもありません。

 

そんなSさん夫婦と愛犬に声をかけ、一緒に伯母の家に行こうと誘った母親。こうしてわたし・母親・伯母・Sさん夫婦・Sさんの愛犬でひとまず行動をとることになりました。

伯母の家には相変わらず入れる様子ではなかったので、伯母は石油ストーブを引っ張り出してセットすると、やかんに水を入れてお湯をわかし始めます。

 

2011年の当時ですら、すでに石油ストーブなんて使っている家庭はあんまりいなかったわけですが、いざというときは役に立つもんですね。

電気はすでに止まっていてヒーターなんて使えないし、この記事を書いている今は2018年ですがもし今地震がきても石油ストーブは役に立つでしょう(冬なら)。

 

そんなこんなで暖を取りつつも、ラジオを聴きながらしばらく時間をつぶしてたわけですが…

やることがないとほんとに時間が経つのが遅い遅い…。震災が起きてからの2~3日はとにかくやることがないんですよね。

あったんでしょうけども、お店もやってないし、ごはんも限られてるし、下手に動けないというのもあったのでぼーっとしてることしか当時のわたしにはできなかったです。

 

津波の被害を直に受けたわけではないので、3月11日はあまりにの非日常にわくわくしていましたが(不謹慎でほんとうに申し訳ないですが事実)、そんなのほんと一瞬でした。

一夜たつと、無心!「どうやって過ごそうか?」ってことすら頭にないんですよね。

 

ただ、もしあのときにホリエモンさんの『多動力』のマンガ本verを読んでいたら、またなにか違うことをしていたのかもしれません…。

 

高校で避難していた妹が帰ってきた+配給をもらうために中学校へ

時間たつのが遅いなぁ・・・とぼーっとしながらヒマをつぶしていたわたし。たしか3月12日の午後だったと思います。

住んでいた町から20km離れたところにある高校に通っていた妹が返ってきました。伯母の家にいることをどうやって知らせたのかは覚えていませんが自転車でこいできた模様。

 

また、同じくして風のうわさで「中学校で配給を配る」という情報を得たので、みんなで伯母の家からまた中学校へ行くこととなりました。

このとき、夕方に差し掛かっていたような。

 

中学校は相変わらず人がたくさんいました。というかむしろ増えてる。

体育館は、後日テレビで見た光景とまったく一緒。みんなテントやらシートを引いてシェアしながら一夜を明かしたようです。

 

配給はどうやら本当だったようで、おにぎり2個くらいがもらえるとのことでした。あんまり並んだ記憶がないのだけれど…。

また、配給が配られるまでの間に知り合いといろいろ話をしたところ、どうやらわたしたちが使っていた駅が水没しているという情報が入ってきました。

 

そのときは「おいおい…まじかよ…」という思いが強かった記憶。

駅はわたしの自宅(ちょっと海沿い)と中学校のちょうど間くらいなので、もし駅まで津波がきていたとなると間違いなくわたしの家は流されているということになるからです。

 

後にそれがデマ、というか別の場所だったので良かったといえば良かったんですが…

こういったうわさが数多く出回るのも震災の特徴なのかもしれませんね。なにが本当で、なにがウソなのかは話だけ信じずに、実際に動いて自分の目で確認したほうが早いと後から気づきました。

震災がきてからの2回目の夜は中学校の駐車場で。

無事に配給をもらえたわたしたちでしたが、翌日(3月13日)の午前中にももらえるかもしれないとのことだったので、その日は中学校の駐車場に伯母の車をとめて寝ることになりました。

夜はかなり冷えるので、毛布は必需品です。当然、Sさん夫婦とワンちゃんにも渡してあります。

 

時間は夜8時くらいだったような。大学生の男が夜の8時に寝るなんて普通はあり得ませんよね?普段はバイト中か、もしくは友達と飲んでるか、家で夜中の3時くらいまでゲームしてるはずですから。

寝れるはずもなく、けど特にできることもないので必死に寝よう寝ようと言い聞かせて、深く座席を倒せない状態でそのうちに浅い眠りにつくのでした。

今回はこのあたりでおしまいです!

キリが良くなってしまったので今回はこれで終わります!【後編】とか書きましたがまだ2日分しか載せておりませんね(笑)

まだ続きそうなので、もしこれを読んでくれている方がいるなら続編ありますのでご注意を!

 

また、こういうことは書かないと【前編】でお伝えしていたんですが…

あなたがもし車を持っているなら、後ろに毛布や下着類くらいは積んでおいた方がいいかもしれませんね。これからくるであろう南海トラフが夏ならいいのですが、もし冬にきてしまったら…

最悪の状況を想定して、用意しておくことをおすすめしておきます。

 

ということで、今回はこのへんで!

 

おわり

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