【中編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ

東日本大震災 3月11日ライフスタイル
わたしが体験した震災を書いていきます(中編)

何歳になっても地震はこわい!たくやきです。

 

7年前、宮城県のとある町に住んでいたわたしにも襲い掛かってきたあの地震。14時46分がきてからの思い出は色あせることなく心の奥底に潜み続けております。

前編はこちら

【前編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ
東日本大震災がきてから随分と月日が経ちましたが、そのときの記憶は意外とはっきりしているものですね。当時の状況について、そういえばブログとかで発信したことがないなと思ったので勢いで書いてみました。同じような境遇の方はもっとたくさんおりますが「あぁこんな感じになるのね」というのをちょっとでも掴んでいただければ幸いです。

 

さて今回は、かつてわたしが通っていた小学校に避難してきた地域の人たちと5㎞先の中学校に避難するところから始まります。

ぜひ最後までごらんください!

スポンサーリンク

中学校に向かう途中で母親と離れて知り合いの家に

地震が起きてから、家の近くにある小学校に避難をしたわけですが「津波がくるかもしれない」ということで、山のほうにある中学校に向かうことに。

ぞろぞろとみんなで歩く光景はなかなかに斬新でした。

 

それこそ、小学校の時に廃品回収でリヤカーを引っ張りながら親子そろって歩いた経験はありますけども、それにしても人数が多くて100人くらいいたと思います。

100人が道路を歩くのを見ながらも、もっと悲惨なことになっている人がいるなんていざ知らず、当時21歳のわたしは不謹慎ながらもちょっとワクワクしていた記憶がありますね。

 

およそ100人の中にはわたしと同じ学年の友達や1コ上や2コ上の先輩もいて、それで10代20代って歩くのが速いもんだからだんだんいくつかのグループができてくるわけなんですよ。

当然、女性陣やお年寄りの方々は歩くのがとてもゆっくり。

 

集団の先頭をつっきっていたわたしや友人や先輩でしたが、ふと先輩が「A(先輩と仲の良い人)の家が近いからそこに行こう!」と言って急遽2~3人でそこに向かうことに。

わたしはそのAさんを知ってはいたけど、仲が良いってほどではなかったのでちょっと遠慮気味だったんですが、後ろを振り返るとまだ母親はけっこう遠いとこをゆっくり歩いていて、待つのもめんどうだったのでAさんの家にいっしょに行くことになりました。

 

Aさんの家につくと、ソファーに座らせてもらい「ひどい地震だったねー」なんて先輩やAさんのご家族の方々と話をしていました。(ちなみにA家は津波の被害が出ないところ)

しかしあまり関わりのあるご家庭ではないので、ちょっと気まずかったりしてどうしたもんかと考えること2時間。

ふとAさんの父親が「そろそろいいんじゃないか?まあ津波の心配はないだろう」と言って自宅まで送ってもらえることになったんです。

 

「まあとりあえず家にいれば一安心だろ」そう思いながらAさんの父親の車に乗りこみ、わたしの自宅へ向けて出発。すでに外は暗くなっていました(18時くらい)。



予想以上に津波がきてて、自宅には帰れなかったので親戚の家に

車で走ること数分、自宅の付近まできたので「おお、とりあえず大丈夫かな」と一安心していたのもつかの間。

いきなりAさんの父親が「お?おおっ⁈」と驚いたような声をあげてブレーキを踏みました。なにごとかと思って正面を見ると…

街灯がついておらず、真っ暗闇の中、車のライトに照らされてかすかに見える水・水・水!

 

前方はすでに潮水で覆われてしまっていたのです!100m先にはわたしの家ですが、これでは車も進めません。

え、まじで?」思わず声が出てしまいました。

そして脳裏によぎるわたしのmacbook…(詳しくは前編参照)。「そういえばPCは車ごと小学校におきっぱなしにしていたんだった…」と思い出し、この調子だともう水没しちゃったんだろうな…と。

ひどくショックを受けていたような気もします。今思えば「そこかよ!」みたいな感じですけどね。

 

さて、これ以上は前に進めないことがわかったので、ひとまずAさん家に戻ると今度はAさんの母親に「中学校行ってみたら?お母さんいるんでしょ?」と今度は中学校まで送ってもらうことに。

また車に乗り込んで、当初の目的地であった中学校に向かいました。

中学校に到着すると、かなり大勢の人であふれ返っていました。

シートを敷いて寝どこを確保している人、トイレ付近にたむろしておしゃべりしている人、外で走り回っている人、キャッチボールしてる人、様々。

 

同級生や同じバイト先の先輩もいて(当時は家の近くのスーパーでバイトしてました)、話を聞いたところその先輩は電車に乗っていたときに地震にあったようで、そこからは線路を歩いてきたんだとか。

ここでも不謹慎ながら、「いいなぁ」なんて思いつつも非日常な出来事に笑い話。

 

引き続き大勢いる中で母親を探して回っていたとき、また別の友達がいて「あぁ、それなら『親戚の家にいるからもし会ったら伝えておいて』って言われたよ」という情報を得ました。

親戚の家は中学校からすぐの場所だったのでAさんにお願いして向かってもらうことになりましたが、無事に親戚の家までたどり着き、母親と伯母に合うことができました。

 

 

今思うと、他人のためにここまでしてくださったAさん家の方々には感謝しかありませんね。

そういえばあの後、お礼を言った記憶がない…。もうわたしは地元にはいないので会うこともないだろうか…。ひとまずこの場で言わせていただくとしよう。

あのときはありがとうございました


東日本大震災がきて1日目の夜は車で過ごすことになったが…

母親、伯母と会うことができたわたし。たしか時間はもう7時を回っていたと思います。

幸い伯母の家も津波の被害や心配はなかったのですが、瓦が落ちたりしていて危険な状態ではあったので軽くごはんを食べたあとは伯母の車で寝ることに。

 

ただ、車で寝るのってここまでひどいもんだとは思いませんでした…。1人ならまだしも母親も伯母もいるから座席を倒すこともできませんし、あのときなにが辛かったって、寒い!

3月と言えど、宮城県は寒いし風も強いので夜の気温が0度近くになることもしょっちゅう(氷点下になることもありましたね)。

被災者が雪の中でこごえながら救助されるシーンをテレビで見た方もけっこういると思いますが、ほんとに寒い!

 

かといって暖房を入れたまま寝るのは危険なので、止めたりつけたりしながらの不安定な睡眠。

しかもすでに水が止まっていたので、トイレは近くの公園でするしかありませんから不便なことこの上ないですね。

いかに自分たちが恵まれた生活を送っていたのか、改めて実感した瞬間でもありました。

 

また、太平洋側の地域が大変なことになっているという情報を初めて車のラジオで聴いて「え、これってもしかして相当ヤバイ??」と汗った記憶があります。

沿岸沿いの方々が悲惨なことになっているなんて思いもしませんでしたし、津波っていっても大したことないっしょ!って感じでいたのでひどく衝撃を受けたのは間違いない。

 

そんなこんな情報を得たりしている内に、浅い眠りについていったわたしでした。

 

3.11体験記:今回はここまで!

14時46分からの時間の感覚はかなりゆったりし過ぎてて、ちょっと苦痛だったことははっきりと覚えています。

そして普通に生活できるようになるまではけっこう精神的なダメージも大きく、どんどんネガティブなヤツになっていったわけなので、次回以降もそういったことも含めて書いていこうと思います。

 

今後も、南海トラフだの関東大震災だのが控えているようですが…万全とは言わずとも一人でも生きていけるような準備は整えていくようにしましょう。

 

ってことで今回はこのへんで

 

おわり

コメント

  1. […] 【前編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ東日本大震災がきてから随分と月日が経ちましたが、そのときの記憶は意外とはっきりしているものですね。当時の状況について、そういえばブログとかで発信したことがないなと思ったので勢いで書いてみました。同じような境遇の方はもっとたくさんおりますが「あぁこんな感じになるのね」というのをちょっとでも掴んでいただければ幸いです。tkp-info.com2018.05.16 【中編】わたしが体験した3月11日の東日本大震災を振り返るよ2011年3月11日… […]