5月のとある月曜日。
汗がじわりとにじむ昨日の晴天とは、打って変わっての曇り空。
予報では、これから雨が続くと言っていたが…今まさに降ろうとしている。
しかしながら、決してどんよりとした、心まで暗くなってしまうような天気ではない。
雲と雲との間からうっすらと太陽の光が差し込み、また、少々強くもあるが何とも言えぬ心地のよい風が部屋中を駆け巡る。
カーテンがなびき、体温が低い人ならば少し肌寒さを感じるほどの冷たい空気。
加えて、どこからともなく聞こえてくる雀の鳴き声。
数百メートル先から聞こえてくる車の走行音…
29歳、所謂「エモい」と呼ばれる雰囲気が大好きな私にとっては、最高のコンディションだ。
最も、一番エモいと思うのは下記のような状態ではあるのだが。
青々とした空、鳥のさえずり、上空を飛ぶヘリの音、布団を叩く音、どこからか聞こえてくる「サー」っていう自然の音☀
話し声1つ聞こえない空間・・・この心地よさが最高によろし🐶
エモイなぁ・・・🐢っていうかエモいの使い方があってるか分からん😋 pic.twitter.com/dHkVKSjWX1
— たくやき@ジムスタッフ (@takuyakikun) November 25, 2018
さて、一方でそんなエモい状態を帳消しにしてしまう存在が1つ。
もうすぐ6ヵ月になる、わが子だ。
この記事を書く数分前まで、おちおちゆっくりとはできないほどのグズリ加減。
この日2回目となる、180mlのミルクは少し前にあげたばかりなのに、一体何が不満なのだろうか?
いや、理由はなんとなく分かっている。ただ眠いだけなのだ。
およそ半年前にパパになり、初めて知った赤ちゃんの「あやさないと寝ない」体質。
最初聞いた時は「え、なんで?だって目をつぶってじっとしているだけじゃない?」なんて驚いていたものだが、今でこそ、それは当たり前になった。
毎日、夜は寝かしつけ合戦を繰り広げているくらいだ。
まだまだ自立とは程遠い存在にいる、そんなわが子。
さて、前述したように、こんなにも清々しくなれる外気なのに、いつ大泣きになってもおかしくないグズリに私のテンションは下降気味。
いったいどうしたものだろうか。
しかし、我ながら赤ちゃんと毎日暮らす中で分かったことがある。
それは「音楽をかけると泣き止む場合がある」だ。
決して100%ではない。泣き止まないこともそれなりにあった。
だが、経験則からしてピタッと静かになり、うとうと眠りについてくれることのほうが割と多かったのは事実。
それも、私がスポーツジムの勤務でスタジオレッスンを行う際にかける「洋楽POP」や「EDM」で。
「え?本当に?オルゴールとかじゃなくて?」なんて思うだろうか。
先日テレビで
「泣きわめく赤ちゃんに反町隆史の”ポイズン”を流すと泣き止む!」なんて検証を紹介していたバラエティ番組があったが、なるほど私の選曲も理にかなっていたのかもしれない。
きっとそういう曲には、赤ちゃんの睡眠スイッチに触れる何かがあるのだろう。
赤ちゃんの大泣きに苦戦するママ・パパが少しでも楽になれば…などと思いながらスマホを手に取り、音楽をかける。
最初の楽曲、Sigalaの『Lullaby』で我が子のグズリが消える
この曲を聴いたことがあるだろうか。
“ララバイ”…和訳すると「子守歌」
まさに生まれて1年も経っていない、わが子のような赤ん坊にはピッタリのタイトルだ。
ちなみに、歌詞の和訳は見たことがない。いや、そもそも見るつもりもない。
「英語が分かるから」とかそういうことではなく、単純に歌詞を見なくとも、この曲の良さがメロディーを通して溢れ出ているからだ。
この記事のタイトルで示した通り、後述する2曲も含めて、まさに「ノスタルジック」
何か懐かしい感じ、よき思い出に心がなびくあの感じ…
若者言葉でいうところの「エモい」そのものである。
さて、曲調はどんなものか。
聴けばすぐに分かるが、リアルな子守歌としてはテンポが速く、重低音も混ざっているため「リラックス」には程遠く感じる。
もちろん、リアル子守歌として作られた曲でないことは百も承知だが。
しかし不思議なことに、我が子は『Lullaby』でピタリと静かになる。
秋の夜、コオロギに近づくと甲高く響く「リンリン」が一瞬で途切れるのと同じように、音が消えるのである。
一体なにがツボにはまったのかは知る由もない。
「ポンポン」と鳴るBGMが良かったのか、はたまたボーカルの太く、安心感のある声が影響しているのか。
予想してもしきれないのは非常に残念ではあるが、結果オーライとでも言っておこう。
また私自身も、『Lullaby』は鳥肌が立ってしまうほど好みの曲。
スタジオレッスンでは参加者が飽きてしまうほど流していて、何度聴いても心地よく感じてしまう。
結局、グズリが消えてからも2~3回リピートして我が子にも聴いてもらった。
まじまじと、音が出る四角い物体を見つめる姿は非常に愛おしいものだ。
その後、The Chainsmokersの『Closer』と『Paris』で我が子は眠った
2016年頃から日本で彼らがブームになっているのは、これらの曲が紛れもなく日本人のエモさのツボをついたからではないかと思っている。
私自身は彼らの曲を網羅したわけではないが、少なくともここで紹介する2曲はまさに「ノスタルジック」そのものだ。
はっきり言わずとも、先ほどの『Lullaby』とは比較にならないほど子守歌から遠い。
バラードよりの、しっとりとしたメロディーではあるものの…本当に眠ってくれるのかは疑問だ。
だが驚くべきことに、我が子は眠った。
いとも簡単に、緊張させていた両腕を”ダラン”と横に広げ、まるで畑の真ん中にひっそり立っていた案山子が強風で倒れてしまったときのように、ピクリともせず夢の中へ入っていた。
以前までは、ジブリやらディズニーやらのオルゴール曲をかけてもグズリがなくならず、それどころか泣きわめく始末だったのに…
意外や意外、洋楽…それもEDM系統でいとも簡単に眠ってしまうとは、赤ちゃんとは本当に分からないものだ。
それとも、私の好みが遺伝しただけなのだろうか。
真相は闇の中。
我が子の寝顔を見て幸せを感じたし、もっと頑張ろうと思った
すやすやと気持ちよさそうに眠る我が子。
窓から入り込んでくる心地よい風と、鳥のさえずり。
スマホから流れてくる大好きな音楽。
これこそ、何度も書いたように「ノスタルジック」な光景だ。
私が好きで好きでたまらない、”エモい”感覚。
今までに体験した辛い経験、そして、これから様々なことで抱いていくであろう不安…
それらが一瞬にして吹き飛んでしまうほどの高揚感が湧き出たのは間違いではない。
また、この瞬間は自覚することがなかったが、私の潜在意識が幸せを感じていたのは本当だとも思う。
その後すぐに「このことを記事にしたいな」と思って、今こうやってキーボードを叩いて大好きなブログを更新しているし、「もっと楽しい人生を送りたい」とワクワクしたのだから。
さて、この記事もそろそろ終わりだ。
最後になるが、私は今回感じたすべてをいつでも再現できるようにしたいと思った。
つまるところ、もっともっと「自分の人生を歩みたい」ということ。
意識だけが高いのは認める。
ただそれでも、自分で決めた人生目標はなんとしても達成させたいのだ。
妻や我が子、そして兄弟や両親のためにも…
私はもっと多くのことにチャレンジし続けたい
そんな風に思った、とある日の昼下がり。
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